『さるきちの物語は・・・。』
この本は、
小川洋子と故河合隼雄先生の対談集。
1章では、
「博士を愛した公式」を引用して
数学の魅力や、登場人物の名前、人柄について、
2章で「生きるとは、自分の物語をつくること」と題し、
興味深いトピックを挙げての
談話がなされています。
小説家、一方は心理カウンセラー。
でも共通点が多くあるという事実が
非常に興味深い。
小川氏は言う。
人は生きていく上で難しい現実を
どうやって受け入れていくか
ということに直面した時に
それをありのままの形では
到底受け入れがたいので、
自分の心の形に合うように
その人なりに現実を物語化して
記憶していく作業を必ずやっている
小説家は、
その記憶を言語化し
作品を生み出す。
一方、臨床心理士は
自分なりの物語を作れないヒトを
手助けする。
それらの作業は
どこか見えないくらい世界に
すうっと降りていく感覚
であると
両者ともに表現しています。
生きていくには、
たくさんの矛盾に遭遇します。
身近な例を出しますと、
過食嘔吐を治したい。
でも、治したくない。
なーんてね。 ハハ。
彼らは言うのです。
人間は矛盾しているから生きている
そして、
矛盾との折り合いのつけ方にこそ、
個性が発揮されるのだ
小川氏は記者から
どうして小説を書くのか?
と問われることも多く、
若かりし頃は必死で
論理づけて応えようとしていたそう。
でもね、
ある時、気づく。
生きているのと同じように
書いているのだ
だから、理由なんていらないのだ
ヒトは誰しも、
ココロの中に混沌とした
言葉じゃうまく表現できない
もやもやがある。
でもそれをなんとか
アウトプットしようとする。
そのカタチが小説だったり、
絵画だったり、歌だったり、、
ヒトによって様々な表現方法があるだろう。
ブログも然りと、さるきちは思う。
そして、さるきちのマンガも
きっとそうなのだ。
さるきちは、
そろり
と、さるきちのココロの奥に
降りていって、
もやもやを掬っては
カタチにしていく。
それが、
物語を作るということ。
生きるといること。
本書では他にも、
箱庭療法や源氏物語について
語られていたり、
カウンセラーとして
河合先生が気をつけているコト
などにも話が及んでいて、
ココロの病気のヒトを支える立場の
ヒトたちに読んでもらいたいなあ、と
さるきちは思いました。
傍らにいるコト、
黙っているコト、
通り道となるコト、etc...
なーんてね。
巻末には、
河合先生への穏やかな笑顔の
写真が掲載されています。
「次は『ブラフマンの埋葬』について
話しましょう」
そう言って別れたのが
最後となったそう。
“長すぎるあとがき”と称し、
小川氏が語るのは、
河合先生に対する敬慕の念と
2回目が実現できなかった無念の思い。
いわば追悼エッセイです。
お二人の穏やかな人柄が
うかがえる貴重な一冊。
新潮社 エ1,365円